大川法律事務所
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大川がこれまで弁護士として携わってきた主な裁判のリストです(2018年12月現在)。
無論、これ以外にも市民の日常的な相談・事件にも多数取り組んでいます。
1. 貝塚ビニールハウス事件(刑事)
   1979年、大阪府貝塚市内のビニールハウスで深夜女性が強姦の上殺害されるという事件が起こりました。その後少年5人が逮捕され、3年後の1982年に全員有罪判決を受けました。少年たちは一人を除いて4名が控訴しました。そして大川が弁護士になって直後にこの事件を控訴審から国選弁護人として受任する事となったのです。記録を読み、アリバイ証人を捜し当てては、証言を頼み、ということを繰り返し、1986年に控訴審で逆転無罪判決を得ました。
 この事件では、その後服役した少年の再審事件でも無罪を得、国家賠償請求でも警察の責任が認められました。
 さらには読売新聞社が講談社から「逆転無罪」という書物を出版し、テレビでもドラマ化され、私にとっては大変思い出深い事件となりました。
 この事件を機に刑事事件を多く手がけるようになり、公務執行妨害事件、特別背任事件、業務上過失傷害事件など幾つもの無罪事件を得ることが出来ました。
2. 関西水俣病訴訟(公害)
   1956年に公式発見された公害の原点といわれる水俣病訴訟が今なお続いています。
 本件訴訟は水俣病にかかった後、熊本県水俣市を離れ、関西に移住してきた人たちが国、熊本県、チッソを相手取り1982年に損害賠償訴訟を起こしたものです。大阪地裁ではチッソの責任のみを認め、国、熊本県の責任は認めませんでしたが、大阪高裁では国、熊本県の責任を認めるという逆転の判決となりました。
 2004年10月15日、最高裁判所はその大阪高裁判決を維持し、国、熊本県の責任を認めるという画期的な判決を言い渡しました。
 さて、水俣病は「公害」ですから、公害患者に対する救済法があります。先の通り、2004年最高裁判決では、「水俣病」として損害賠償請求が認められたのですから、当然、救済法の対象になるはずです。ところが、先の原告は救済法の対象とはなりませんでした。そこでその適用を求めた裁判を提訴しました。
 損害賠償請求訴訟とはいえ、2004年に最高裁がF氏を水俣病と認めたのですから、公健法上も水俣病と認められるべきです。にもかかわらず、行政はかたくなに公健法上の「水俣病」は、損害賠償法上の「水俣病」とは違うという「屁理屈」をつけてかたくなに、公健法上の水俣病認定を拒んできたのです。
 マスコミが、水俣病認定における「司法と行政の2重基準」とよんだ問題ですね。
 本件のF氏の訴訟は、公健法上の水俣病の認定を棄却した処分の取消と、公健法上の水俣病と認定せよ、と求めた裁判です。
 一審大阪地裁は、我々の主張を認めて勝訴。ところが控訴審大阪高裁は、こともあろうに逆転敗訴を言い渡しました。この判決は結論もさることながら、司法審査の在り方に、原発訴訟の伊方判決を引き合いに出すなど何重にも問題のある判決でした。
 最高裁への上告は必然です。そしてその水俣病訴訟の最高裁判決が2013年4月16日に出ました。その内容は、私達の主張を認めた実に画期的なものです。
本ホームページの3月15日トピックス欄に添付しました私の弁論もお読み頂ければ幸いです。
 私が最高裁の法廷に入ったのは(弁論、判決を含めて)10回になります。
 最高裁に一度も行ったことがないという弁護士の方が多い中で密かな自慢です。
 ところで70年代の「反公害」闘争の帰結として、チッソは「水俣病患者」を広く救済する補償協定を交わしました。従いまして2度にわたる訴訟の帰結として、F氏は水俣病と認められたのですから補償協定の救済も受けられるはずです。しかしチッソはそれを拒否したため三度目の訴訟を提起しました。本事件の一審は,約三年にわたって慎重に審理を重ねたうえ,「本件補償協定は判決を超えるものである」として,当該患者らと原告らを別異に取り扱うのは不当と考え,補償協定の救済を受けられるとしました。
 しかし,本事件の二審は,1年に満たない期間で,理由不十分なまま非科学的な論理で原告らの請求を逆転で退け、さらに最高裁は,記録到着からわずか2か月余りの2018年10月に棄却したのです。しかし水俣病に関する歴史的経過を十分に吟味検討して適切な判断を為した一審判決こそが、結論ありきの大阪高裁、最高裁判決よりも、「歴史の審判」に耐えうるものであると私たちは思っています。
3. 釜ヶ崎監視カメラ撤去訴訟(プライバシー)
   大阪の釜ヶ崎ではその狭い地域に西成警察署の15台もの監視カメラが設置されており、公道を行く人々の姿をとらえています。これはプライバシーの侵害であるとして西成在住の住民が監視カメラの撤去を求めたのがこの訴訟です。
 この種の訴訟は日本で初めてです。そして、この裁判は現場検証や数多の証人尋問を経て、大阪地裁は公道を歩くものにもプライバシーが認められるとして、防犯上の理由との比較考量の上、15台の内、1台の監視カメラの撤去を認めたのです。これは大阪高裁、最高裁でも維持され、プライバシーを巡る裁判例の中でも画期的な判決のひとつとして注目を集めました。
 この裁判では、大川の同級生である松井茂紀氏や棟居快行氏など同世代の憲法学者の協力を得ることが出来、プライバシーについてかなり掘り下げて研究する事が出来ました。 その後、住基ネット違憲訴訟を行うなど「プライバシー問題」に深く関わるきっかけとなった事件です。
 2003年に、保険会社の方を対象に「企業とプライバシー保護」という講演を2回行うなど、その後も、プライバシーについて広く関わる契機となりました。
4. 全日空有給休暇訴訟(労働)
   有休も思うように取れない。これは多くの会社の現実でしょう。大会社全日空とて例外では有りません。本件は有休を認められなかったことによる損害の金額自体は小さいものでしたが、有休を容易に認めない会社の態度を正す為に提訴しました。金額からすれば簡易裁判所の管轄ですが大阪地裁の合議部(たいていの事件は裁判官が一人の単独部の扱いですです)となって大事件となりました。結果は完璧な勝訴。労働者の基本的な権利をきっちりと認めた良い判決でした。
 私は、労働事件に関しては数多く手がけ、別掲コラムの通り、21年をかけて闘った労働事件など実に様々な経験をしました。
 その経験をふまえ、2009年から、大阪府立大学で「労働法」の講義を担当するともに、日本労働法学会にも入れてもらって労働法学者と最先端の議論をさせてもらっています。
5. 靖国神社公式参拝違憲訴訟(信教の自由)
   憲法は戦前神道の果たした役割の反省から政教分離原則を定めました(憲法20条)。ところが1985年8月15日に当時の中曽根首相はそれまでの私人としての参拝でなく、首相としての公式参拝に切り替えて強行しました。これに対して遺族6名がこの公式参拝は違憲であるとして国家賠償請求を起こしたのが本件です。大阪地裁は憲法判断を避け、損害の発生は無いとして請求を棄却しました。しかし大阪高裁は結論として賠償請求は認めなかったものの理由中で、首相の公式参拝は「違憲の疑いが強い」とのべ大きな反響を呼びました。遺族側は上告しなかったので(相手方は結論として勝っているので上告できない)この判決が確定しました。この判決はいまなお引き合いに出される判決です。
 私自身はこの裁判を初めとして、即位礼・大嘗祭違憲訴訟、元号強制違憲訴訟そして最近では小泉靖国公式参拝違憲訴訟など信教の自由、良心の自由を問う、多くの裁判に関わることとなりました。
 小泉訴訟では、地裁、高裁と二つの違憲判決が出ました。しかも最高裁判決は棄却されましたものの滝井裁判官の優れた補足意見がありその意義は別稿主張欄で「靖国訴訟最高裁判決補足意見を読む」の論考の通りです。
 ともあれ、こういった裁判もあって、その後の首相は公式参拝をしませんでしたが、安倍首相は、多くの反対を押し切って2013年に「公式」参拝しました。 そのため、三度、首相の公式参拝を問う訴訟を提起しました。安倍靖国訴訟です。しかしこれについては最高裁まで争ったものの違憲判決は出ることなく(無論合憲判決もありません)終了しました。」
6. インプラント訴訟(医療過誤)他
   大川は弁護士で作る大阪医療問題研究会に所属していることもあり、医療過誤事件は数多く扱ってきました。
インプラント訴訟は2003年に勝訴事件を得た事件です。
 本件は歯医者に勧められインプラントを入れたものの、適合せず、痛みも生じ結局は全てインプラントをはずさざるを得なくなったというものです。大阪地裁はリスクの説明が不十分であり説明義務違反が有るとして医師に損害賠償を命じました。
 医療過誤訴訟としては、2003年に毎日新聞が連続して報道した心臓ペースメーカ訴訟(本来不要なペースメーカを植え込むという事件)についても、裁判を行い、このペースメーカー事件については2004年に一審敗訴後、大阪高裁で、医者の説明義務違反を理由に、医療機関に損害賠償を命じました。
 その後も数多くの医療過誤事件を手がけています。
7. 政務調査費違法支出事件(政治監視)
   堺市在住の野村孜子さんという方がおられます。「『該当無し』の報告書」(いんてる社・1986年)、「底地買い」(ドメス出版1987年)という面白い本を出版されており、私はその2冊を読んでいたく感心していました。人のつながりは不思議なもので、その後私は偶然野村さんの代理人として訴訟に関わることになりました。
 その最初は、1989年に起こした公文書非公開処分取り消し訴訟です。野村さんは政治家の政治活動をチェックするため、政治資金規正法に基づく収支報告書のチェックをしていたのですが、その当時、収支報告書は閲覧は認めても、謄写は認めないという扱いでした。それを違法として謄写を認めよ、と求めたのが「コピー裁判」として名高いこの訴訟です。この裁判は一審大阪地裁は敗訴するものの、大阪高裁はコピーを認めないのは違法として原告逆転勝訴となりました。法は閲覧は認めているのですから、コピーを禁止するのはおかしいという、極めて常識的な判断です。
 しかし最高裁は逆転敗訴判決を命じました。
 野村さんとはその後も代理人となり、政務調査費違法支出訴訟では、別掲トピックスの通り完全勝訴判決を得ました。補助参加人(議員自身です)がその後控訴しましたが、控訴審でも勝訴。
 問題の補助参加人は政務調査費を返還しました。
 当然の勝利ですが、ここまでしないと返還しないのは往生際が悪すぎます。
8. 受刑者選挙権訴訟
   刑務所にいる受刑者に選挙権が認められるかという裁判を起こしました。2013年9月27日大阪高裁は、禁錮以上の受刑者に選挙権を認めない公職選挙法の規定は憲法違反だとする判決を出しました。国家賠償請求自体は認めませんでしたが、理由中とはいえ、公選法を違憲と判断しました。これは画期的なことです。私はこの訴訟の一審からの弁護団のひとりであり、判決の問い合わせも多いことから、トピックスに判決文をアップしました。そちらもお読み下さい。
9. あいりん職安違憲訴訟
   大阪の釜ケ崎にあるあいりん職安は、「職安」と銘打ちながらこれまで職業紹介をしてこなかった。その本来の役目たる職業紹介をしないことから、いわゆる闇手配師が跋扈し、ピンハネや過酷な労働条件を強いられるなど労働者にとって釜ケ崎は無法地帯であった。
 2011年福島原発被災の際に、あいりん労働者が騙されて福島に連れて行かれたこともある。
 こういう現状を変えるために釜ケ崎地域合同労組委員長稲垣浩氏らが国家賠償請求訴訟などの形で裁判に訴え、私は代理人となった。2014年4月16日に大阪地裁は、職員の「過失」を認めず、結果的には被告を救済して原告敗訴としたものの、理由中では「職業紹介しなくても合法」と主張する被告の言い分をことごとく否定し、職業紹介しないあいりん職安行政の運用は「違法」と断罪した。この判決の意義は極めて大きく、判決は地裁で確定し、その後福島みずほ議員、服部良一元議員らが動いて頂いて、2016年4月から運用が変わることになった。裁判が制度を動かしたわけである。
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