大川法律事務所
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 「私の思い」(2022年3月「法友」より)
  名探偵ザディグ登場!

 法友倶楽部の記念誌は10年単位で発行されるため、この記念誌の原稿を考えることは10年区切りで司法や社会の移り変わりを実感する契機になる。
 「表現」という側面で見たとき、私は部落差別発言などヘイトスピーチ問題に関わってきたが、その昔との比較を見るとヘイトスピーチなどの差別表現はある面ではより露骨になってきたのではないかと思うことがある。
 20年前なら、差別発言自体は許されないとの社会の共通認識はあったと思われる。それゆえ差別表現は「差別落書」のように陰で行われてきた。
 しかし今日ではどうか。民族差別発言などは、誤った「表現の自由」のもとに、公然と露骨になされている。ヘイトスピーチ解消法が出来るなどしたとはいえ規制はまだまだ弱い。
 さらには自分の考えと違う者への攻撃も凄い。他者の表現を聞こうとする姿勢もない。
 このような移り変わりを見ると、人権は拡大しているところか一面では後退しているのではないかとすら感じることがある。
 世界的に見ても香港その他「表現」への弾圧も露骨になっている国が少なくない。
 「異形の表現世界」ミステリは私の幼少からの趣味である。「異形」というのは誤解を与えがちだが「暗黙のルール」に縛られているという意味である。
 怪人20面相、明智小五郎、ホームズ、ルパンと心をときめかしたものである。ポプラ社世代と言えばミステリ・マニアには分かってもらえるだろう。
 京大では仲間と友に推理小説研究会を作った。そのオリジナルメンバーや後輩のミステリ作家は私の貴重な友人たちである。
 ミステリはある種の知的読み物で有り、作者は、合理的思考の持ち主であることが少なくない。社会派推理小説作家は時に社会を告発することもある。社会派でなくとも、例えば赤川次郎氏は安保法制や東京五輪などについてその問題性を発言している。
 そういうミステリ作家の社会的発言も嬉しいが、このミステリという娯楽自体に私は素晴らしさを感ずる。
 それにしてもこのミステリなるものは一体いつ作られたのか。
 いやそもそも、ミステリという娯楽の無かった時代に初めてこれを発明した人物とは誰なのか。

 ミステリ界の巨匠エラリー・クィーンによれば、「名探偵」の始祖は、シャーロック・ホームズやオーギュスト・デュパンではなくて、それよりももっと早く登場し、それはザディグであるという。
 謎を合理的に解き明かす話を生み出すことが、いかに歴史的に卓越していることか。ミステリファンならずともわかるだろう。
 しかしザディグ登場の18世紀は、自由にものが言えない時代でもあった。合理的思考の持ち主であるその創造主は現に二度も投獄されている。
 風刺識を書いたことにより投獄されたのである。
 それゆえ世界最古のミステリ作家は誰よりも「表現の自由」を求めた。だからこそ彼は余りにも著名な次の名言を残している。
 「私はあなたの意見には反対だ。しかしあなたがその意見を言う自由は、私の命をかけても守る」
 異なる意見にはまるでその表現の自由も与えないかのような昨今の風潮が余りにも寒々しい。
 現実世界の愚かしさからひと時忘れるためにミステリを読みながら、改めて名探偵ザディグの創造主、即ちフランスの啓蒙思想家ヴォルテールに思いを馳せ、その精神を引き継いでいきたいと思うのである。


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 取調べとカツ丼伝説
 間違っていても一旦植え付けられた思いこみは消えない。
 このことをつくづく感じたのが、取調べとカツ丼の組み合わせです。いわゆる「カツ丼伝説」ですね。
 大阪弁護士会では,取調べのことや冤罪のこと,そして,冤罪を防ぐために取調べの可視化の必要性を市民の皆さんに広く考えていただくきっかけとして,昨年暮れに、取調べや可視化をテーマにした川柳を募集しました。これに応じて,何と1388首(応募者総数363名)に及ぶ多数のご応募を頂きました。実に有り難いことです。
 その中から,佳作(3作),優秀賞(2作)そして大賞(1作)が選ばれ,2013年2月9日に大阪弁護士会館にてその発表・表彰が行われました。結果と応募全作品については大阪弁護士会ホームページで公開しておりますので是非ご参照下さい。
 私が印象に残ったのは、市民の皆さんが,取調べや可視化のことをどのように考えているかです。とりわけ、カツ丼のテーマが多いことに驚きました。
「カツ丼が、上カツ丼になる可視化」
「カツ丼か…それでも僕はやってない」
「カツ丼を食べてるとこも見えるかな」
「カツ丼を天丼に替え喋らせる」などなど。
 取調べと言えばカツ丼という思いこみですね。
 実際は、取調べにカツ丼(に限らず食事)を出すのは取調規則違反ですので、現実にはありません。もっとも、2006年9月には取調でカツ丼を出した刑事が処分を受けており、他にも同様の処分例がありますから、絶対に無いとはいえませんが。
 無論、便宜を図って作られた調書には、任意性・信用性に疑いも生ずるでしょう。
 さて可視化川柳です。大阪弁護士会館の横に「ないな、可視化しかないな」という回文スローガンを掲げているからでしょうか、回文川柳もありました。
「可視化しよ 調べを減らし よし可視化」
「よし可視化 ないなはないな 可視化しよ」
「可視化しか ないよね、よいな 可視化しか」
 印象に残ったのは業界風の次の一首です。
「可視(歌詞)も無く、唄え、唄え、と担当が」
さて大賞です。「可視化して、防げ罪無き人の罪」
 冤罪を防ぐ、と言うストレートな表現の作品が多すぎたためか、この作品は確かに印象に残りましたね。大賞おめでとうございます。
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 東野圭吾「プラチナデータ」と監視社会
 東野圭吾氏の作品「プラチナデータ」の映画が上映中である。原作も映画も実に興味深く面白い作品である。
 ストーリーの冒頭は、犯行現場に残されたDNAデータから犯人像を割り出すプロファイリングのみならず、極秘裏に集められた全日本国民の究極の個人情報・DNAデータと照らし合わせて、犯人を特定する最先端のDNA捜査システムが示される。これが行き着けば、検挙率100%、冤罪率0%の社会が訪れるという。主人公神楽龍平は警察庁の科学捜査機関「特殊解析研究所」に所属する天才科学者であり、このシステムの推進者としていくつもの難事件を解決してきた。その彼が、DNA捜査システムの重要関係者が殺される連続殺人事件を担当することになった。しかし、証拠からDNA捜査システムが導き出した犯人は、なんと、神楽自身だった。…。
 実に素晴らしい「出だし」である。そして、ミステリの王道とも言える「発端の謎、中段のサスペンス、結末の意外性」をふまえている。
 作者東野圭吾氏は本作のメッセージとして「合理性を徹底的に重視した捜査手法を駆使する人物がいたとして、その方法によって彼が彼自身を犯人だと断定せざるをえない状況に陥ったらどうなるか。今回の私の挑戦は、そんな難問を自分に課すことから始まりました。」と述べている。
 作者のメッセージだけを見れば、まるで都築道夫氏のかの名作ミステリ「なるほど俺が犯人だ」を思わすが、その内容は、趣も、仕掛けも全く違う。
 また映画「プラチナデータ」は、原作に比較してかなり大胆に内容を変更しており、その比較についても、ミステリファンの間で議論を呼ぶであろう。
 さて長々と書いたが「プラチナデータ」の怖いのは、この作品の描いた監視社会は決して未来の事ではなく、実は今、日本ですでに実現されているということである。
 映画を見られた方なら、監視カメラが日本中を包囲し、逃亡する主人公を追いかける場面を見られたであろう。その他の監視システム、映画に出てきた顔認証システムや骨格認証システム、そして歩き方からその特徴を分析し識別するシステムなどはすでに完成している。この映画を見れば、もはや街の中で姿を隠すことは無理だと知るであろう。
 つねに国家に監視されているとすればこれほど不自由で窮屈なことはない。
 無論、犯罪捜査、犯罪予防が必要なのは言うまでもない。しかし重要なのはバランスであり、個人のプライバシー権、人格権を侵害してまで、監視をしてはならない。
 映画「プラチナデータ」はその不気味さを考えさせてくれる。
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 弁護士と交渉学
 弁護士という仕事していると、「交渉」は日常茶飯事です。そのため、ときどき「弁護士さんは交渉術にたけているのでしょうね」とか「弁護士さんは交渉の勉強をするのですか」と聞かれることがあります。
 実は、「交渉学」を学ぶことは弁護士の業務上不可欠ですが、実際は、司法試験や修習生の試験科目にありませんから、弁護士であれば必ず「交渉学」の勉強をしている訳けではありません。結局は、自分でそれを意識して積極的に勉強していくかどうかなのです。しかも「交渉学」は、実は、弁護士に限らず、人間社会でいきていく中でどなたも知っておいて損はありません。
 私の属する「法友倶楽部」では昨年専門家をお呼びして「交渉学」の研修をしました。それに連動して「交渉」に関する書物のガイドブックを私が行ったのが「お薦め交渉学」です。
 参考にして頂ければ幸いです。
お薦め交渉学ー「ハーバード流」から「橋下徹」まで
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 弁護士の仕事と自殺
 3月は「自殺対策強化月刊」です。
 弁護士の仕事は色々な意味で「自殺」と無縁ではありません。貧困や失業、債権者からの取り立て、いじめ、ハラスメントなど自殺の原因となりかねない出来事への対策として相談やアドバイス、或いは事件を受任することもありますし、端的に、自殺が危惧される相談者に対する相談もあります。電話の向こうから、「自殺する」という悲鳴を含んだ相談を受けることもあります。
 日本弁護士連合会は毎年一回人権大会を開いて、シンポジウムを開いていますが2012年10月に開かれた人権大会のテーマの一つは「自殺をどう防ぐか」というものでした。
 そのときの資料に、弁護士自身の自殺率が高いとあったのにも驚きました。ストレスの掛かる仕事だからでしょうね。私達も含めて、自殺を無くする社会に少しでもお役に立てればと思っています。
 その人権大会でお話しを聞いた二人の素晴らしい方をご紹介します。
 添付の「夜回り先生とちょっと待ておじさん」をお読み頂ければ幸いです。
夜回り先生とちょっと待ておじさん
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 人生は配られたカードで勝負するしかない
 人生において何かの決断を迫られ迷ったとき、時間がない、スタッフがいない、金が無いなど消極的な理由は山ほど挙げられる。しかしそんなことを言っていたら前へ進めない。 表題は、決断を後押ししてくれる人生の名言である。最初に誰が言い出したのかは知らない。しかし、映画「タイタニック」で、小説「時生」で、色々なところでドラマのスパイスとして使われてきた。私も振り返って、かのデュカプリオのようにつぶやいたことを思い出すのである。(もっともつぶやいたのは心の中だけであるが…)。
(「法友」121号・2012年10月2日発行分より一部修正)
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 いろいろありますADR
 ある日の出来事。とある労働者が事務所に労働相談に来られました。ああだこうだとアドバイス。すると「ところでセンセ。大阪労働局のあっせんという制度がありますね」「うん、ありますよ」「そこでまず自分でやってみますわ。まあ、会社は応じんやろから、その後、センセに頼みますわ」「ハイわかりました」
 後日、本人がアポ無し来所。緊急の依頼かいな、と思いきや「いやあ、センセ。うまくいきましたわ」「へえ、委員は誰ですか。」「弁護士の○○先生ですわ。実にいい先生で、会社を説得してくれて、金額は安かったけど、納得しましたんで。センセにもお礼ですわ」 私の仕事にはならなかったが、○○先生はいい仕事をしたわけである。
 労働事件の紛争解決手段はいろいろあり、その一つである行政ADR(紛争解決手段)は手数料は無料である。安くて、早い。
 実際の解決金も安いことが多いが…。
(「法友」121号・2012年10月2日発行分より一部修正)
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 ブラ・ピ「マネーボール」が面白い
 皆さん、映画はお好きですか。私は、忙中閑、連れ合いとよく映画に行きます。
 最近面白かったのが「マネーボール」(2011年11月公開)でした。2004年に、原作を読んだとき、いたく感銘を受けたので関心を持っていたのですが、映画化と聞いて、さて果たして「絵」になるのか、と思ったものです。何故なら、原作は、予算の少ない弱小球団アスレチックスを常勝チームにするというノンフィクション物語ですが、野球は得点を争うゲームゆえ「打率」よりも「出塁率」が重要など、それまでの野球観を変えて、統計を駆使するところに主眼があるからです。事実、その統計的手法の下りが、まさに「目から鱗」で面白いんですね。
 しかしこのような統計は「絵」にならんでしょう。…と思いながら映画を見ましたが、いやいや面白かった。
 実はこれは、チャレンジするGMの物語だったんですね。「金の為に仕事を選ばない」というラストシーンにはぐっときました。
 原作を読んだときには気付かない点を浮かび上がらせるところも、映像の良いところですね。
(「法友」118号・2011年12月15日発行分より一部修正)
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 「ソア橋」ならぬ「水晶橋」と法律あれこれ
 「ソア橋」と聞いてピンと来る人はミステリ通ですね。そうです。かのシャーロック・ホームズが不思議な謎を解いた事件の舞台がソア橋ですね(「シャーロック・ホームズの事件簿」所収)。拳銃を川に落として消失させるという、「橋」を利用した巧妙なトリックが仕掛けられましたが、ホームズは見事それを見破りました。しかし、本当にそのようなトリックが成り立つのか、拳銃に見立てた「石」を利用して、実際に実験してみよう。物好きなメンバーが2011年8月の土曜日の昼間、「水晶橋」に集まって再現実験しました。日本シャーロックホームズ倶楽部大阪支部のメンバーです。実験の結果は「きれいに飛んでいかない」という意外なものでしたが、詳細は「ホームズの不思議な世界」(平賀三郎編・青弓社)所収の福島賛氏の論考「ソア橋の難問」をお読み下さい。
 さて、私の本論はここからです。こんな「お遊び」の実験をするにも、法律が関係するということですね。さて、どういう法律でしょうか。
 答は、道路交通法と河川法です。予め、こういう実験をすることをメンバーの責任者は管轄の天満署に届出し、署から「川に一旦落としたものは引き上げるように」「橋を通行する人の邪魔にならないように」などなど、法律の規定に基づく注意を受けて、かくて実験を行ったのでした(ああ、しんど)。
 かのシャーロック・ホームズは、ときには、法律を破る人でしたが(「ミルバートン事件」他参照)、大阪のシャーロッキアンは大変真面目でした。
(「法友」118号・2011年12月15日発行分より一部修正)
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 北新地マジックバー巡り
 私は実はこう見えても大のマジックファンです。これほど面白いエンターテインメントはありません。美味いビールを飲みながら、目の前で繰り広げられるカード捌きやコインの「消失」といった所謂テーブルマジックを見るのは至福のときです。
 ときどき、マジックを「知性への挑戦」か何かのように考えて、ことさらにトリックを見破ろうとしたり、騙されることに腹を立てたりする人がいますが、残念です。
 落語を聞きながら何故この話は面白いのか、と考える方はいませんよね。
 音楽を聴きながら何故にこのメロディが感動を及ぼすのか、と考える人もいませんよね。
 マジックも同じです。素直に「不思議さ」を楽しむ。これが一番です。
 私は、宿泊を伴う出張が有れば必ず地元のマジックバーを探します。2010年10月に青森で行われた日弁連人権大会でも地元のマジックバーに寄ってきました。
 普段は北新地のマジックバーです。といっても、ここ数年は多忙の為あまり行けませんでしたが、種々のお役の解けるこの4月から、再び北新地マジックバー巡りができそうです。
 もっとも知人の話では、ブーム時には7~8件はあった店も、いつのまにか「消失」してしまったらしいですが…。(「法友」115号・2011年3月24日発行分より一部修正)
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 ないな、可視化しかないな ~ 回文について
 大阪弁護士会館の横に懸垂幕塔が立っています。三面に掲げられたそのスローガンの一つが「取調の可視化」を目指すスローガンです。そして回文になっています。
 スローガンを選ぶときに、回文であることに抵抗を示される弁護士もおられました。何やら「遊び半分」のように思われるのですね。
 遊びといえば、確かに遊びですが、こういう言葉遊びは日本の文化の一つであり、うまく作られた回文は芸術的でもあります。
 かつて弘兼憲史氏が週刊ポストに「回文塾」を連載したことから回文ファンも増えたようですが、回文の文献としては、土屋耕一氏の「軽い機敏な子猫何匹いるか」が古典的名著です。<まさに何様・闇から神谷>氏らの「逆さ言葉『回文』のすべて~まさか逆さま」も面白い。他にも回文の書物は幾つもありますが、この2冊はお薦めです。また、回文を題材にしたミステリには、泡坂妻夫氏の「喜劇悲喜劇」と、同氏に挑戦した鯨統一郎氏の「喜劇ひく悲喜劇」がありますが、前者が秀逸です。
回文ファンはもとよりそうでない方もぜひとも回文の妙を味わってほしいものです。
 さて話を戻して「可視化」です。京都弁護士会は「可視化シカ」という鹿をトレードマークにしました。
 弁護士会の進める可視化実現運動は、今や、回文と共に広がりつつあります(ホンマですよ…)。(「法友」115号・2011年3月24日発行分より一部修正)
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 弁護士会館エレベーターの謎 〜 マーフィーの法則
 大阪弁護士会館のエレベーターは東から西へ4台並んでいます。
 といっても実際に会館を訪れた人でないとわかりにくいと思いますが、会館入り口を入ってすぐを右折し、また右折したところに、手前から奥へと4台並んでいるのです。
 手前から奥へ、というのが味噌で、要するに奥まで歩くのは面倒なのです。
 この4台並んでいるエレベーターを利用された皆さん。エレベーターボタンを押したときにどのエレベーターが来るでしょうか。
 実際に来るのは一番奥の(つまり西側で一番遠いところにある)エレベーターであることが多いと感じませんか。
 2008年に私が大阪弁護士会副会長にさせて頂いたとき、それこそ一日に、何度も、何度も、エレベータを利用しました。
 おかしい。
 一番遠いエレベーターが来るのが多いのではないか。
 (私だけでなく某副会長も同じことを言ってました)。
 このように思うと、私は、どうしても「確かめてみたい」という「好奇心」に勝てないんですね。そこで私は、これを実証しようと思い、データをとることにしました。「暇やなー」と思われた皆さん。データとるのは手間暇のかかることではありません。エレベーターをABCDと区別し、単純に利用の度に、A、B、C、Dをメモればいいだけです。
 2008年4月から6月とデータをとりましたが、結論は、なんと、優位差のある傾向は全く見られませんでした。
 う~ん。マーフィーの法則が正しい。知ってますよね、マーフィーの法則。つまり自分にとって不快なことは、拡大して印象に残る。このことが、却って立証されました。(「法友」113号・2010年7月31日発行分より一部修正)
仕切り点線
 合理的な理由がないとはいえないということはできない
 表題を見て、なんとわかりにくい下手くそな文章か、と思われたでしょう。3重否定の文章ですからね。実はこれは私が1989年以来20年以上にわたって係わった昭和シェル労組事件の2010年5月13日東京高裁判決に出てくる一文で、判決にはこの言い回しが繰り返し何度も出てきます。
 事件そのものは、労働組合差別により不当な賃金差別査定を受けた組合員らがその是正を求めて、1989年に労働委員会に不当労働行為救済申し立てを行ったものですが、地労委(当時)の組合側勝訴、中労委の組合側勝訴を経たあと、東京地裁は中労委命令を取り消すという逆転判決を言い渡し、東京高裁判決はこれを再度ひっくり返したためにこういう表現になりました(詳細は省略します。関心ある方は「労働判例」1107号をお読み下さい)。
 つまり事実認定の手法として東京地裁は組合に厳しい立証責任を負わし、「(賃金の差が生じたことに)合理的な理由がない」ことを組合側が立証すべきとした上で、そして、「合理的な理由がないとはいえない」として、組合側を負かしたのです。ところが、東京高裁は立証責任を組合側に緩和して、事実上会社に負わせました。だから上記の「合理的な理由がないとはいえない」を否定したことから、前述の3重否定となったという次第です。
 判決文のわかりにくさは定評がありますが、これは「やむを得ないと言えなくもない」ですね。(「法友」114号・2010年12月30日発行分より一部修正)
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 大阪刑務所運動会は大騒ぎ
 2010年10月1日大阪刑務所運動会を見学しました。実は刑務所では、受刑者の福利厚生のために年に一回運動会が開かれています。私は、2009年に大阪弁護士会推薦で大阪刑務所視察委員に任命されている関係から招待されました。
 驚きました。凄いですね。
 最初に運動場に入って、目に入ったものは、小学校の運動会と同じです。テント席があり、万国旗が架かり、場内は白線でコースラインがひかれています。軽妙な音楽がなっています。そして、競技種目も、200mに、リレーに障害物競走にと…。
 しかし、台本が同じドラマでも、役者が違えば、出来映えが違うように、刑務所運動会は少し様相が違いました。各工場別対抗戦ですが、代表選手入場から大騒ぎです(もとい。「大騒ぎ」ではなくて「応援」です。しかし、やたら、「オーオー」とか大声が聞こえる。)。大会長挨拶、来賓挨拶と続いて審判長注意。「故意に接触しないように」「タイヤ競争ではタイヤを投げないように…」。ええっ、そんな注意せなあかんの?
 さて競技開始。競技自体はみんな真面目です。全力で競争するのは見ていて気持ちいい。でもズルする人もいます(スプーン競争で、ボールを運ぶのにスプーンの柄を持つべきところ、お~い。お椀の部分を持って運んでるやないか…。)。
 応援が凄い。「おおう」「おっらあ」「よっしゃあ」と言った声がやたらに聞こえる。統制のとれた工場区はグループの前に出たリーダーが、センスをもって音頭をとって「わっしょい」「わっしょい」の大合唱。結局、これはストレス解消なんですね。日頃、太陽の下で大声をあげることが少ないから、みんなこの日を楽しみにしているという一日でした。
 職員の方は大変です。本当にご苦労さまでした(尚、委員は「守秘義務」を負っていますので、すでに公開されている情報など、支障がないと思われる範囲で書いています。)。(「法友」114号・2010年12月30日発行分より一部修正
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