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“ヤスクニ”あるいは“ヤスクニなるもの”を考える
1.  靖国訴訟とは、我が国にあまたある人権訴訟、憲法訴訟の中で、人々の関心が比較的うすいものでありながら、しかし、それについては実は最も重要な訴訟であった。
オーバーに言えば、それはあたかも呼吸する対象である「空気」の重要さを意識しないのに似ている。
2.  1985年、ときの首相中曽根康弘氏が、靖国神社にいわゆる「公式参拝」を行った。
「戦後政治の総決算」とうたい「(死者を)国がうやまわずして、誰れが国のために命をささげようか」という軽井沢セミナー発言に、正直なところ私は衝撃をうけ、それが最初の靖国訴訟へとかり出した。
「ヤスクニとは何か」「ヤスクニ思想とは何か」。
私の弁護士生活と並行するように、この問題は私のテーマの一つとなった。以来、新靖国訴訟そして本件訴訟へと続く。
“ヤスクニ”の持つ意味は十分に語りつくされている。
“ヤスクニ思想”についても同様である。実際に「ヤスクニ思想とは何か」というテーマはこれまでも論じられている。
1985年、第一次靖国訴訟で、私達は、「勝手に死者の意味づけをされない権利」というものを構築した。私はこれはこれで正しいと考えている。
つまり、人々はそれぞれに、死者の意味を自分なりに考え、位置付けている。
しかし、ヤスクニはそれを一刀両断して、「死者は英霊」と断ずるのである。
これは勝手に意味づけするという問題もさることながら、実は、「英霊」との「決め付け」により、「思考を中断」させてしまう。実はこのことが何より問題であるといえよう、「戦没者の死の意味は何だったのか」「なぜ死ななければならなかったのか」「そもそも戦争は正しかったのか」……。こういった疑問を、全て、「意味のある殉死であり、英霊となった」と意味付けることによって思考をストップさせてしまう。
実はここにこそ大いなる問題がある。
3.  ひるがえって、昨今の日本の状況はどうであろうか。東日本大震災により未曾有の被害が生じた。
その復旧の為には財源が必要である。その財源の為には、消費税増税が不可欠であるが、その為にはその前に政治家・公務員が自ら身を削らなければならない。それは公務員の給与削減であり、議員定数の削減だというのである。
大手新聞はこれらの論理を繰り返し、繰り返し述べている。批判の声は少ない。本来なら大いに思考し、議論を闘わすべき大問題なのに「結論のみありき」である。
ここに「思考の中断」はないであろうか。
もしもそこに「思考の中断」があるならば、実は「ヤスクニ思想」は形をかえて今なお広く残っているといえる。
そうであれば、「ヤスクニ思想」が残っている限り我々はまだまだ訴え続けなければならない。
以上
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