大川法律事務所
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消えた労働相談はどこへ行ったのか
1. 労働を巡る現状
   長引く不況の中で労働者を取り巻く状態は極めて厳しいものがある。失業と非正規雇用の増加、その中での労働条件の悪化、賃金の大幅ダウンなどはもはや語り尽くされているともいえる。
 NHKスペシャルで「ワーキングプア」が放映されたのは2006年7月の事であった。「働いても報われない。働いても生活保護水準以下の生活を強いられている人たち『ワーキングプア』が大量に生まれている」というドキュメンタリーは、それまで余り知られていなかった「ワーキングプア」という言葉を広く世間に知らしめると共に、その実体を見た人に大きな衝撃を与えた。同じ2006年には「格差社会」(橘木俊詔)、「労働ダンピング」(中野麻美)、「若者はなぜ3年で辞めるのか」(城繁幸)等々、労働と格差、貧困を指摘する書物が(前記書物以外にも)大量に相次いで刊行され(注1)、そして、日弁連も2006年11月の人権大会でもこの貧困の問題を取り上げた。
 かくて2006年の全国的な問題提起を受けて、新たな貧困を是正すべく、2007年の国会は「労働国会」となるはずであった。
 「なるはずであった」が、実際には、そうはなっていないのはご承知の通りである。
 弁護士として受ける近時の色々な相談からも、ワーキングプアを感ずる。破産、債務整理の相談から見ても、弁護士介入によって一時的に債務を免れても、長期的にみて、その人本人の生活は向上するのかと思うことも多い。
 過労死、過労自殺の相談も少なくない。しかも従前と違って、精神疾患(うつ病など)が増えている。精神的に追いつめられている労働現場が蔓延している事をうかがわせる。
 このような現状を生み出した要因は言うまでもなく新自由主義の政策であり、労働分野に限って言えば、中曽根規制緩和政策以降の各種労働法の改悪が行くつくところまで行ったゆえ、といえよう。
2. 紛争解決制度は機能しているか
   前項に述べたような厳しい労働条件の中で果たして「労働者の権利」は守られているのだろうか。
 そもそも、民事紛争の中で、労働紛争は、本来は一番多い類型である。何故なら、人が、一日の内、起きている時間の中で、家族と接する機会の次に多いのが、労働関係である(人によっては家族と接するよりも多いというものもあろうが)。それゆえ、労働関係に関するトラブルが多いというのはいわば当たり前であって、諸外国の民事紛争でも労働紛争の占める割合はは多い。例えばドイツでは労働裁判に持ち込まれるのが年間約60万件といわれている(注3)。
 また我が国で2001年に制定された個別労働関係解決促進法に基づく全国約300箇所の総合労働相談コーナーに寄せられた相談件数は、当初年間約25万件、その後、約62万件、約73万件、約82万件、約91万件と毎年増加し、2006年は相談件数約94万6千件である。この相談件数は、文字通りの相談ですむのも含めているが、相談段階で、紛争性のあるものが2006年で約18万7千件である(注2)。
 このように表面に現れた労働紛争相談で前述の数字であることから、これらの相談以外にも、潜在的に多くの(おそらく何十万件レベルの)労働紛争が生じていることは容易に想像できる。では、これらの労働紛争は解決に至っているのであろうか。
 前記総合労働相談センターに寄せられた相談の内、2006年のデータを見れば、労働局が助言・指導したのが5429件、あっせんに進んで合意が成立したのは2686件である。局の助言・指導によって真に紛争が解決しているかどうかは不明であるが、あっせん合意の2686件は紛争解決したといえるであろう。しかし、数十万件の紛争を前提とすれば、この数字はあまりにも、桁違いといってよいくらい、少なすぎる。
 消えた労働相談はいったいどこへ行ったのか。
3. 紛争解決へ向けて
 

 水面下も含めた労働相談件数の多さにもかかわらず、データを見る限り、その後は裁判も含めて、紛争解決制度に進んでいない。つまり、結局は「相談」だけで終わっているということである。そのことは同時に、労働者の多くは不満はあっても、相談のみで泣き寝入りしていることを推測させる。
 では、何故、泣き寝入りせざるを得ないのか。
 一つは、そもそも労働者の主張が通らない事案、つまり悪法に根拠をもつこともあろう。 もう一つは、紛争解決手段へのアクセス障碍である。争いたくともその手段がわからない、あるいは、費用その他の理由により利用できない、というものである。
 ではこの二つの課題をどう克服するか。
 前者は、法改正も含めた立法運動しかない。
 後者は、アクセス障碍を除くのに、あらゆる手段を構築することである。
 特に後者については深刻である。何十万人(推測)もの労働者の泣き寝入りを見過ごしているとあっては、およそ民主国家といえない。しかしチャンスはある。つまり、この行政相談から紛争解決へどうつなげるか、である(注4)。
 ヒントとなるのは、この行政相談を担当する窓口担当者の言葉である。担当者は言う。「そもそもあっせんにも出てこないような使用者のケースではこの行政手段では解決しない。そのような場合に、相談者(労働者)には、これは労働組合に行きなさい、或いは、これは弁護士さんに相談しなさい、と言いたいときが多いが、行政の中立性からしてそれはいえない」
 そうであれば、行政の中立性に反しないように、行政窓口から相談者に対して正式に後続手段を知らせる方法を確立することである。
 弁護士へのアクセスは、弁護士会として取り組む。これは、私自身が弁護士会の関連委員会に入って、今後その方法を考察する予定である。
 もう一つは労働組合へのアクセスである。
 労働組合は、その組織率の低下と共に、その印象は極めて悪いが(注5)、行政が労働組合を勧めればその印象は変わり、実際に、行政経由による労働組合相談というのも増える可能性がある。そのためには、労働組合として、行政に、労組関与がふさわしい事案は労働組合への紹介を行うようなルールの確立を行政に申し入れることであろう。
 無論、行政の中立性という建前からすれば、行政が、全労協・ユニオンネットワークのみを紹介すると言うことは絶対にない。そうであれば、全労協、連合、全労連を全て平等に紹介・推薦してもらう方法が考えらるが、行政の負担を考えると可能性は低い。ならば、三者共同のパンフレットを置いてもらう方式や、或いは、それが駄目なら、弁護団共闘方式の労働組合紹介パンフレットを作り、それを行政窓口においてもらうという方法もあろう。弁護士(弁護団)へのアクセスも行政の中立性から弁護士会関与しかないと思われるが、労働団体紹介共同パンフレットを、三者共同で作るとなれば、別途の道が開けるかもしれない。いずれにせよ、それぞれにアイデアを出し合って早急に取り組むべきである。
 前者の悪法への対処は、法改正の取り組みしかない。
 労働者弁護団はこれまでも労働契約法の制定提言など行ってきたが、更にその取り組みを強く勧めるべきであろう。
 立法運動に対しては、現場の労働運動の取り組みを重視する余り、極めて皮相に見る向きもあるが、立法制定は全てが力関係で決まるわけではない。
 中曽根以降の労働法改悪はその多くが労働者にとっては厳しいものであったが、全てが全てそうではない。人権の普遍性、正当性の前に、権力も妥協して法制化せざるを得ないときもあったのである。
 そうであれば、あらゆるところで、ねばり強く、法改正と立法の必要性を、その理論的正当性を、訴えて推し進めていくしかない(注6)。

(注1)おなじみ熊沢誠氏や島本滋子氏の著作は参考になる。どのように考えるかも、各種論考は参考になる。後続の文献には「最底辺ルポ」の競争という感の著作が多い。
(注2)厚生労働省のホームページによる。
(注3)日本の場合、労働訴訟は年間約3千件である。ドイツとは桁違いである。鳴り物入りで導入された労働審判制度ですら年間約1千件である。
(注4)この行政の労働相談の注目者として重要なのは社労士である。社労士は労働のエキスパートとして会を挙げて深く関与するよう取り組んでいるが、果たして、それが真に労働者の解決に役立っているのかという疑問がある。或いは弁護士との職域問題も絡んで、論ずべき問題点はかなりあるが、ここで論ずるには余りにも紙面が足りない。
(注5)個別労働関係解決促進法が出来てから、第三者からの労働組合への相談は減ったという。一般の労働者からすれば、労働組合よりも行政の方が敷居が低いと言うことを物語っている。尤も、弁護士が、一番敷居が高いが・・・。
(注6)力関係が全てという発想にはついて行けない。多くはそうであるがそれが全てではない。憲法9条の思想は、「力」よりも「正しいこと」の方が強い、という思想であり、私は憲法9条の思想に感銘を受けている。但しこういった問題を論ずるにも紙面は足りない。

 
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